遺品整理とは
平成から令和へと時代は移り変わり、10連休という、かつてない長さのゴールデンウィークが過ぎました。
コラムをご覧頂きましてありがとうございます。
宮城遺品整理サービス、スタッフの三浦と申します。
日本国民の3人に1人が65歳以上の高齢化社会。
さらには、5人に1人が75歳以上という「超超高齢化社会」を迎えるとされています。
人は生前「最期・死後は誰にも迷惑を掛けたくない」そう思う方がほとんどではないでしょうか。
父が「孤独死」した後の遺品整理、祖父の「ゴミ屋敷」整理を経験した私が、この「遺品整理」という仕事を続けながら感じること。
これからも遺品整理サービスを担う一員として、定期的にこのコラムに綴っていきたいと思います。
皆さまは「遺品整理」と聞いてどのようなイメージを持ちますか?
故人が残した、故人に縁(ゆかり)のある品物。
故人が生存中に所有していたもので、死後に遺されたものを「遺品」といいます。
身近な生活用品から、思い出の詰まったアルバム、趣味で収集したコレクションなど。
いつか使うかもしれないと残していた、故人の遺志が詰まった数々の「遺品」
その品々は「残された家族や身近な人が整理する」という流れが一般的だと思います。
しかし、残された家族が実際に沢山の遺品を目の当たりにしたとき、どのように感じるでしょうか。
私の実経験を元に、少しずつお話させて頂きたいと思います。
私が初めて「遺品整理」に取り組んだのは、自身に初めての子供が生まれてから約半年後、平成18年の2月でした。
当時一人暮らしをしていた実父が、あれやこれやと私に出産祝いを買って我が家に来た、その約二週間後。
着信があったことに気付き連絡したものの、一向に父が電話に出ず不安に思った私は、車で父の住むアパートへ向かいました。
玄関扉に備え付けられているポストから、新聞と郵便物があふれているのを目にした瞬間
「ああ、もう父は亡くなっているのかもしれない。」そう思い、覚悟しました。
普段から用心深い父。玄関はカギを開けた状態で
「あとは頼む」といわんばかりに、布団の中で静かに眠っていました。
心臓のバイパス手術をした3年前に「覚悟」はしていたものの
「また孫に会いに来るから。」
そう言って笑顔で手を振った父の姿からは、全く想像できない状態でした。
事件性の有無を警察に確認してもらい、監察医の先生に遺体を見て頂きました。
髄液を採取した結果、脳溢血で病死だったことがわかり
「長く苦しむことは無かっただろう。」と言われ、少しだけ安心したのを憶えています。
その後はお寺への連絡、葬儀屋との打ち合わせ、役所や銀行での手続きなど。やらねばならないことは多岐にわたりました。
その中でも一番体力と神経を使ったのが、アパートの整理と現状回復についての、大家さんとやり取りでした。
必死に父が残した数々の遺品を整理するため、悲しむ余裕なく過ごした結果。
私は突発性難聴を発症し、耳が聞こえにくくなり、辛い日々を過ごさねばならなくなりました。
あれから13年が経ちますが、今になってふと、考えることがあります。
あの時、誰かに、どこかに、頼ることは出来なかったものか。
普段の生活に加えて、悲しみや動揺を抑えつつ慣れないことに取り組むことは、想像以上に大変なことです。
時間と体力、精神的な負担、自分だけではなく家族・親族、時には周囲の方々も巻き込むこともあります。
あの時「遺品整理」サービスのことを知っていたら、間違いなく頼っていたと断言出来ます。
現代において身近になりつつある「サービス」ではありますが、初めてご依頼される方は不安に思われることもあるかと思います。
スタッフがわかりやすく、お客様のご希望に合わせてご相談を伺いますので、お電話またはメールにてご相談ください。
背負った負担を軽くするために、弊社が誠心誠意、心をこめて「遺品整理」させて頂きます。
宮城遺品整理サービスでは迅速・丁寧・真心をモットーに、年間施工件数900 件を超える遺品整理等、数多くのノウハウと経験があります。
無料お見積もりから作業終了まで責任をもって対応させていただますので、初めてご利用頂くお客様も安心してご利用ください。
宮城県内で遺品が整理しきれない、何とかしたいと悩んでいる方、
宮城県遺品整理サービスへお気軽にご相談ください。
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